2007/08/25

耳の奥で音が聞こえる

もう3年くらいになるだろうか。狭い室内で週3~4、4時間とかスタジオに入ったりしていた頃、右耳に激しい耳鳴り。数日で治るだろうと放っておいたが一向に治らない。耳鼻科で調べてもらったところ、全体的に一般的な聴力は優れているが、1000kHzの部分だけ、ずいぶん聞こえていないとのこと。要するに1000kHzの部分が激しく耳鳴りしているということだ。音で言えば甲高い声(笑い声)キンキンした工事の音、シンバルやスネアの高めの音、ギターやベースなどの歪んだ音の高音。など、いわゆる「ハイ」と言われる音域だ。耳鼻科の先生がおっしゃるには人間の耳が一番敏感に感じる音域で「耳が痛い」と強く感じる周波数なんだそう。音をたくさん聞く人はまずこの1000kHzを最初にダメにするらしいのである。それ以来、私はずっと右耳の耳鳴りと共存の日々である。治る気配なし。

耳鳴りが続くと話し声などが聞こえにくくなる。よく「え?」とか「んん?」とか聞き返している自分にはっとする。もしかして大きな声で喋ってる???



耳鳴りを得て、私は音の聞き分けが敏感になった。どんな音が鳴っているのかどんな音がどこから聞こえているのか以前よりも聞こえるようになったので、レコーディングや、私自身の音作りにはとっても嬉しい悲鳴である。でも、でもだ。敏感になって気付いたことがある。音が大きいって苦しいのだ。だからギターの音やドラムの金物(シンバルとかを叩く音)がバカでかいライブにはなかなか足が向かない。せっかくいいライブでも音が大きすぎるだけで絶えられなくなってしまう。耳栓なるものを使用することもしばしばあるが、耳栓をしていても耳への影響は大きい。よくよく考えてみたら、私は大きい音には慣れていたはずだ。吹奏楽で部活を6年、その間にもスタジオに入ったり、高校3年生からはずっとライブ三昧。毎日のように大きい音を聞いてきたはずだ。でも、慣れは関係ない。どんなに慣れていても「大きすぎる音」は耳を劈くような痛みがある。「度が過ぎる」日本語ってよくできてる。ということは慣れていない人が大きい音を聞くとどれだけ苦痛を伴うんだろうと思うと震えてしまう。どんなにいい音楽でも「音が大きい」の理由でライブに足を運べなくなるのは悲しい。音楽人としてやはりたくさんの人に聞いて欲しいというのはずっと変わらない願望。確かに大きい音を出すには理由があるのは分かる。だったらせっかくのいい音をもっといい環境で聞ける状況を望んじゃだめ?それは私のワガママ?エゴ?私の中で繰り返される質疑応答。私のエゴを主張してもそれはなんてことないただの自己顕示欲。主張主張主張の繰り返しは大きい音と同じだね。

自戒を込めて。

2007/06/10

オトナアソビ

目を閉じて言葉がじわじわ浮かんでくるのを待つ。ピアノの前に座ってドの音を弾いてみたときに感じるあの跳ねかえってくる音を待つ。あれこれしていたらもう6月。今年に入ってまだ1度も日常を書いていないことに今頃気がついたのである。あいやー。しまった。何してたんだよ。この半年。普通に反省。というわけで、ここ数日神様がまとまった時間をくれたので音楽のために時間を捧げていると、あれこれとってもリズミカルに進んでいる。せっかくもらったこの時間を無駄にしてはいけないとようやく重い腰をあげて日常の煙を書いているのである。



先日観た歌舞伎の話。今回は蜷川幸男演出の十二夜というシェイクスピアの喜劇。初歌舞伎な私。歌舞伎や演劇おいしいものが大好きな年上の知人からお誘い頂きなんと4列目。その方はもともと東京生まれで学生の頃から歌舞伎にはまってしまい、今は九州に住んでいるというのに、好きな歌舞伎の演目があれば、どこへでも行ってしまうという歌舞伎狂の方で、初心者の私には心強い。私は狂言や能は好きでよく観に行ったりしたものだが、歌舞伎は雲の上の存在。料金が高い上に、一元さんお断わり、チケットもなかなか取れないというイメージがあった。さすがに4列目は素人ではなかなか入手困難らしいのだが、もう少し後ろの方になれば料金もぐっと安くなるし、初心者でも気軽に楽しめるようだ。歌舞伎は色彩が艶やかだ。蜷川幸男演出とあって、幕が開けたその瞬間の掴みや、幻想的な配色、音楽の取り入れ方など幽玄の世界のようであった(蜷川幸男の演出で能も見てみたい。)とはいえ、喜劇なので、面白おかしくダジャレを言ったり、「恋テク」など今風な言葉や博多弁をわざと使ってみたりとサービス精神旺盛。観客を惹き付けるテクを継承してきた伝統の中に観客を惹き付ける技を身につけた演技。素晴らしいものであった。私はステージに立つ立場の者としてどうしてもその視点で観てしまうのだが、長い稽古を経て本番を迎え、休憩50分含めて4時間を提供し、しかも昼夜2回毎日行うその役者魂に心を奪われるのである。それは役者に限らずお囃子などの音楽担当、舞台を支える裏方、彼等の徹底した職人魂にもである。



大人という言葉の中には色んな意味合いが含まれている。

成人を迎えた人のこと、常識という自覚を持つということ、エロス的なこと、もっともっと細かい部分にまで大人という言葉は多用されている。人間関係を築いていくこともそうだが、私にとって相手を思いやることのできる人、そして、多くの身のある経験を積むということに大人という言葉の重みを感じるのである。オトナノアソビ。歌舞伎はオトナノアソビだ。演技を見るにあたって、恋の楽しさや、辛さ、憎悪や、嫉妬、愛情など、人として生きていく過程を少しでも長く人生の味を経験しているとより楽しめる。オトナノアソビ。時には深い時間までお酒を飲みながら音楽を聞いたり、時にはおいしいお料理を食べたり、時には旅行に行ったり。年齢を重ねるたびに探求心が生まれてくるのは人生を深く楽しもうとしているオトナの余裕だ。まだまだ余裕の足りない私にはまた今日をギラギラ生き抜くのである。