2006/05/03

風をあつめて

近所には川が流れ、桜や銀杏の木が季節を彩る緑豊かな街中のオアシスからぐんと隣りが密接した都会の内部へ引っ越をした。そう、最近のことだ。

まだ桜が残る肌寒い頃で、新しく自転車を買ったり、部屋を片付けたり、地理的な無知感も感じつつ、心も体もなんとなく気ぜわしく過ごしていたので、まったく気付く余地さえ無かったのだが、少しゆとりが芽生えたここ数日何かが足りないとふと思った。あ、「風」だ。



土地には土地特有の風が吹いている。長く住んでいた場所は川風の吹くところで毎日が同じ、少しだけ湿った肌を刺すような風を浴びて生きてきた。太陽の光を浴びることと同じように、私はいつも風に吹かれていたように思う。こんなに「風」が私に浸透していたなんて!驚いているのは紛れの無い事実。

風はいろんなものを運んでくる。生きるための栄養や衝動を掴むタイミング、時には不必要なものまである。確かに密接した都会にも風が吹く。生ぬるい執拗な湿気はあまりない。海風はたくましくも、ビル風は吹き抜ける。強すぎる突風さえも。都会の風当たりは強い。心を映写しているかのようにあの川風を思い出した。私も風になりたい。



風をあつめて。

はっびぃえんどの名曲だが、私の歌には風やら空やら星やら大きいものを連想させる言葉を使うことが多いのには理由がある。

晴れた日には、阿蘇という巨大な山のいただきがくっきりと見える街で育ったこと。それは限りある自然と接する機会が随分多く自然の美しさをいつの間にか知ることのできる環境であったこと。そして手にすることのできない心の中にある大きな存在をいつも近くに感じていたいということ。比喩的な表現を用いているがいつも心の中を豊かな視野で捉えていたい、捉えて欲しいという願いでもある。少しでもいいから環境のことを気にして欲しいという隠れたメッセージもある。自戒を込めてである。出来ることから始めたい。いつまでも変わらない風を鳴らして。